栗城 耕平



職員と当事者に支援する側とされる側の上下関係が生じ易いということについて。その方が楽だと感じる当事者の方もいらっしゃいますし、それ自体は全て否定されるものではありません。
また、治療や仕事の場等ではそういった関係の方が、お互いの役割が明確で目標や目的に向かって進みやすいという側面があるのかもしれません。

しかし、その様に立てた目標や目的は誰のためのものでしょうか。
私たちが行う生活支援では、そういった目標や目的をご本人が主体となって設定して、支援を行う事を目指しています。
その取り組みの一環として希望ヶ丘が当事者にとって、更に主体的・意欲的に過ごせる場になるのであれば、ご本人はもちろん、この施設にとっても、良い効果が期待できます。


例えば、自分の体験を話せる方がいると、退院促進や地域で孤立している方に対しての支援もより効果的になります。そして精神障がい者支援の専門職として、職員がそのような当事者の方との関わりの中で、成長していく効果もあります。


ただし、発信力のある方ばかりが注目されがちですが、当事者の多くは、自分の経験や体験を開示することに怖さや苦手さを抱えていらっしゃいます。
発信することが苦手な方も当事者活動に参加できるように各々が足りない部分や苦手な部分を補い合って成り立つ会の運営を考えなければ、当事者のスペシャリスト養成の場になってしまう危険があります。
それは単に出来る人や優秀と思われる方を気持ちよくさせるだけの場になってしまうのではないでしょうか。
そのためにバランス良く意見が出せるような、風通しの良さや発言機会の均等化を意識して、安心して話せる場に当事者活動がなると良いと考えています。





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